サーバーの移行をしましたので、ブログのURLが以下のアドレスに変更になりました。
http://muan.sblo.jp
今後は、新しいアドレスのブログに記事を書いてまいります。
こちらのブログにブックマークをしていただいている方は、大変お手数ですがご変更をお願い致します。
2011.09.07
2011.09.06
仲塚庸子展
仲塚庸子展
9月6日(火)−11日(日)

5日の搬入日。
作品の展示作業が終わり、空間構成がなんとか無事終了した様子。

作品を創る過程でも、一つ一つの作業を丁寧に向き合う仲塚さんは
さあ、この段階までは、一応終了という場面場面で
納得がいくまで、徹底的に取り組んでから、また先の作業に進みます。
家庭生活において、母である時も
会社で、仕事をする時も
日常の、自分であるときも
創作活動で、作家としても
こどものようなまっすぐな眼差しと
深い考察を繰り返すまじめな大人の眼差しを
交差させながら、ことに取り組むという姿に圧倒されます。
その眼差しの底に、人への限りない優しさが横たわっています。

重奏に流れる線
心の中からほとばしる思い、言葉が
形作るのがもどかしくて・・・線に・・・。
ほとばしる思いと言葉が・・・手に・・・。
ストローク。
強くしなやかでシンプルな動き。
乗り越えるに必要な潔さ
押しつぶれそうになる心を立ち上げる光
押し寄せる蓄積した問い掛けへの鍵
無為の動きから生まれた透明な願い


何かが生まれてくるかもしれない
新しい旅立ちができるかもしれない
明るい方へ導かれるかもしれない
美しさはいつもどこかに
混ぜこぜになりながらも
繋がる思いは未来に続く
で、あって、ほしい・・・・
9月6日(火)−11日(日)
5日の搬入日。
作品の展示作業が終わり、空間構成がなんとか無事終了した様子。
作品を創る過程でも、一つ一つの作業を丁寧に向き合う仲塚さんは
さあ、この段階までは、一応終了という場面場面で
納得がいくまで、徹底的に取り組んでから、また先の作業に進みます。
家庭生活において、母である時も
会社で、仕事をする時も
日常の、自分であるときも
創作活動で、作家としても
こどものようなまっすぐな眼差しと
深い考察を繰り返すまじめな大人の眼差しを
交差させながら、ことに取り組むという姿に圧倒されます。
その眼差しの底に、人への限りない優しさが横たわっています。
重奏に流れる線
心の中からほとばしる思い、言葉が
形作るのがもどかしくて・・・線に・・・。
ほとばしる思いと言葉が・・・手に・・・。
ストローク。
強くしなやかでシンプルな動き。
乗り越えるに必要な潔さ
押しつぶれそうになる心を立ち上げる光
押し寄せる蓄積した問い掛けへの鍵
無為の動きから生まれた透明な願い
何かが生まれてくるかもしれない
新しい旅立ちができるかもしれない
明るい方へ導かれるかもしれない
美しさはいつもどこかに
混ぜこぜになりながらも
繋がる思いは未来に続く
で、あって、ほしい・・・・
2011.08.30
萩尾紅子展
萩尾紅子が始りました。
会期:2011年8月30日(火)−9月4日(日)

目の前に広がる風景、
手に触れた花々、
通り過ぎる風のそよぎ
流れゆく雲
澄み切った夜空を運行する月
きっと、紅子さんは
日々の暮らしの中に、
いにしえからかわりなく移ろう
時の流れの時間軸を持っているのでしょう。
また、
広大な宇宙空間が、
生を営む場所なのでしょう。
その永遠とつながれた時の流れと空間で、
喜び哀しみ笑い涙し祈りながら、
生の歩みを
楽しそうに、あたりまえのように
続けています。
そこから生まれでるものを、
パステルで描き出しているのかしら。
生き生きとした生の輝きと神秘さ
美しい光景とあふれる喜び
身の回りから、心に落ちてわき上がる美の世界
単純な線で、陰影の美しい色。
ハーブや花々への思い
真摯に生きるものたちへの優しい微笑み
紅子さんと話していると
高原の清々しい空気が流れてくるようで、
森林浴をしているみたい。
ふしぎないいきぶん
ろろるろれるんりろ
魔法の言葉が流れてきます。
神秘のかけら

愛する人と同じやり方で

らいまんぽきの丘

空へ続く道

「繋がり」という言葉が、
確信を持って感じられることがあります。
久しく会うことなのかった旧友との再会
手放したものとの偶然的な出会い
会うべくして出会う人、こと、もの。
どれも、偶然と感じながら
やはり、必然だと知る時。
解きほどかれた長い糸の両端が
繋がる時ほど
感銘を受けることはありません。
人、こと、ものとの出会いは
神秘で、感動的です。
そんなとき
素敵な出来事、と
この頃手放しで喜びます。
会期:2011年8月30日(火)−9月4日(日)
目の前に広がる風景、
手に触れた花々、
通り過ぎる風のそよぎ
流れゆく雲
澄み切った夜空を運行する月
きっと、紅子さんは
日々の暮らしの中に、
いにしえからかわりなく移ろう
時の流れの時間軸を持っているのでしょう。
また、
広大な宇宙空間が、
生を営む場所なのでしょう。
その永遠とつながれた時の流れと空間で、
喜び哀しみ笑い涙し祈りながら、
生の歩みを
楽しそうに、あたりまえのように
続けています。
そこから生まれでるものを、
パステルで描き出しているのかしら。
生き生きとした生の輝きと神秘さ
美しい光景とあふれる喜び
身の回りから、心に落ちてわき上がる美の世界
単純な線で、陰影の美しい色。
ハーブや花々への思い
真摯に生きるものたちへの優しい微笑み
紅子さんと話していると
高原の清々しい空気が流れてくるようで、
森林浴をしているみたい。
ふしぎないいきぶん
ろろるろれるんりろ
魔法の言葉が流れてきます。
神秘のかけら
愛する人と同じやり方で
らいまんぽきの丘
空へ続く道
「繋がり」という言葉が、
確信を持って感じられることがあります。
久しく会うことなのかった旧友との再会
手放したものとの偶然的な出会い
会うべくして出会う人、こと、もの。
どれも、偶然と感じながら
やはり、必然だと知る時。
解きほどかれた長い糸の両端が
繋がる時ほど
感銘を受けることはありません。
人、こと、ものとの出会いは
神秘で、感動的です。
そんなとき
素敵な出来事、と
この頃手放しで喜びます。
2011.08.22
リネンとちょうちょ。
『 リネンとちょうちょ。』
ヤオイタカスミさんの
リネンの服と
チョウチョが飛ぶインスタレーション。
7月に「トコノマ.」を開設した
中村康子さんの焼き菓子。
消しゴムハンコで表現する
長島裕子さんの小さな世界。
夏の終わりに、
また、集まりました。
7月初めに「ユルリとサラリ展」で
イラストレーターのしおたまこさんとのコラボレーション。
夏祭りに日本の伝統的な手ぬぐいと浴衣から
楽しい発想をひろげて、ユルリとサラリと。
夏祭り、お盆
猛暑、大雨
蝉が一斉に鳴き始め
いつの間にか、虫の声に変わりました。
夏の終わり
一息ついて、いいですね
こんな時間。
大人の夏の終わりの夏休み、かな。
ゆっくりと遊びにきてください。
ちょうちょがたくさん
ひらひら、ひらひら
しています。



ヤオイタカスミさんの
リネンの服と
チョウチョが飛ぶインスタレーション。
7月に「トコノマ.」を開設した
中村康子さんの焼き菓子。
消しゴムハンコで表現する
長島裕子さんの小さな世界。
夏の終わりに、
また、集まりました。
7月初めに「ユルリとサラリ展」で
イラストレーターのしおたまこさんとのコラボレーション。
夏祭りに日本の伝統的な手ぬぐいと浴衣から
楽しい発想をひろげて、ユルリとサラリと。
夏祭り、お盆
猛暑、大雨
蝉が一斉に鳴き始め
いつの間にか、虫の声に変わりました。
夏の終わり
一息ついて、いいですね
こんな時間。
大人の夏の終わりの夏休み、かな。
ゆっくりと遊びにきてください。
ちょうちょがたくさん
ひらひら、ひらひら
しています。
2011.08.08
チベットとインドの音色
服部翠絵画展のオープニングライブ(8月1日)がありました。
ヒマラヤを越え、天空を突き抜けるテンジンの声、
澄んだインドの笛
体に心地よく伝わるタブラの鼓動。
チベットのテンジン・チョーギャル (Vo. Dranyen)
オーストラリアのシェン・フリンデル (Tabla)
日本の寺原太郎(Bansuri)
ユキ(Vo)
http://bit.ly
http://www.pure.ne.jp


優しい笛の調べ、タブラの心地よいリズム
テンジンさんの魂に響く声
服部翠さんの描くインドと混ざり合って
遠い異国に誘われるものでした。
8月1日は長岡の震災記念日にあたります。
先の第二次大戦で、この日B29の空爆撃をうけ、
多数の犠牲者と街は焼け野が原になった日。
その慰霊の祈りと復興を夜空に散る花火に託して
街を再生してきた歴史があります。
その後、大雪や台風などの災害だけでなく
時の流れに生ずる幾多の艱難に遭っても
花火は元気を呼び起こしてきました。
つい近年の中越地震、中越沖地震と相次ぐ天災に
更に鎮魂と再生復興の願いを込め、「フェニックス花火」が
夜空に花開いた時には、市民、観覧者一同の目に、
感動と勇気と感謝の涙が溢れる素晴らしい体験でした。
3月11日に忘れる事のない日本中を震撼とさせた東北関東大震災は
他人事ではない体験として受け止めています。
この時代を生きている私たちに問いかけられた大きな課題が
生まれた震災でもあります。
この震災も含め、
乗り越えなければならない哀しみや山積みの難問の前にして
長岡の花火は大きな意味、大切なメッセージを花開かせて
私たちを勇気づけてくれます。
鎮魂と祈り、再生と復興、感謝の花火は
夜空に大輪の花をドカーーンと咲かせ
潔く散って消えますが
心に残した感動は、その大きさが何倍にもなって
明日への勇気と生きる力を与えてくれます。
長岡の歩み、日本の歩み
ひいては世界の平和への希求を願う8月1日に
魂の源に触れるインドの絵のなかで、
3人のライブが静かに、優しく、おおらかに
奏でられた事は、とりわけ感動の時でした。
ここから次の世界へ「jiten」
母を唱う「AMA」
こども達は今も自由を求めてヒマラヤを越え亡命する
ヒマラヤがもう少し低いといいのに、なと切なる願いを
軽快なリズムで奏でる「himaraya」
困難を受け止める姿勢が悲壮を越えて明るいのはなぜ?
チベットに住む人々の宇宙観、自然観の深さと壮大さ
チベットのふるさとに住む母に届ける想い
かの地の平和を願ういのり
などなど語り尽くせぬ思いが、
メロデーとリズムと音色に託されて届く。
神さまが降りたコンサートでした、ね!
皆様に感謝です!!!

ヒマラヤを越え、天空を突き抜けるテンジンの声、
澄んだインドの笛
体に心地よく伝わるタブラの鼓動。
チベットのテンジン・チョーギャル (Vo. Dranyen)
オーストラリアのシェン・フリンデル (Tabla)
日本の寺原太郎(Bansuri)
ユキ(Vo)
http://bit.ly
http://www.pure.ne.jp
優しい笛の調べ、タブラの心地よいリズム
テンジンさんの魂に響く声
服部翠さんの描くインドと混ざり合って
遠い異国に誘われるものでした。
8月1日は長岡の震災記念日にあたります。
先の第二次大戦で、この日B29の空爆撃をうけ、
多数の犠牲者と街は焼け野が原になった日。
その慰霊の祈りと復興を夜空に散る花火に託して
街を再生してきた歴史があります。
その後、大雪や台風などの災害だけでなく
時の流れに生ずる幾多の艱難に遭っても
花火は元気を呼び起こしてきました。
つい近年の中越地震、中越沖地震と相次ぐ天災に
更に鎮魂と再生復興の願いを込め、「フェニックス花火」が
夜空に花開いた時には、市民、観覧者一同の目に、
感動と勇気と感謝の涙が溢れる素晴らしい体験でした。
3月11日に忘れる事のない日本中を震撼とさせた東北関東大震災は
他人事ではない体験として受け止めています。
この時代を生きている私たちに問いかけられた大きな課題が
生まれた震災でもあります。
この震災も含め、
乗り越えなければならない哀しみや山積みの難問の前にして
長岡の花火は大きな意味、大切なメッセージを花開かせて
私たちを勇気づけてくれます。
鎮魂と祈り、再生と復興、感謝の花火は
夜空に大輪の花をドカーーンと咲かせ
潔く散って消えますが
心に残した感動は、その大きさが何倍にもなって
明日への勇気と生きる力を与えてくれます。
長岡の歩み、日本の歩み
ひいては世界の平和への希求を願う8月1日に
魂の源に触れるインドの絵のなかで、
3人のライブが静かに、優しく、おおらかに
奏でられた事は、とりわけ感動の時でした。
ここから次の世界へ「jiten」
母を唱う「AMA」
こども達は今も自由を求めてヒマラヤを越え亡命する
ヒマラヤがもう少し低いといいのに、なと切なる願いを
軽快なリズムで奏でる「himaraya」
困難を受け止める姿勢が悲壮を越えて明るいのはなぜ?
チベットに住む人々の宇宙観、自然観の深さと壮大さ
チベットのふるさとに住む母に届ける想い
かの地の平和を願ういのり
などなど語り尽くせぬ思いが、
メロデーとリズムと音色に託されて届く。
神さまが降りたコンサートでした、ね!
皆様に感謝です!!!
2011.07.31
服部翠 絵画展
2011.07.23
佐藤公平展
佐藤公平展が始りました。

平面作品にモチーフとして描かれる静物画があります。
いつか消え去るもの、塵となってなくなるものを
記憶に留めようと、描かれるのでしょうか。
その同じモチーフを、土を使って立体でどのように平面化させるか
同じように立体で消え去るものを捉えられるのか、
凝視した静かな時間が、黒陶という技法で作られた造形にこめられています。
一見、みなれた日常雑器や食物が
佐藤公平さんの造形に挑む手にかかると
二次元の静物画的なモチーフを、三次元に作りなおすという
「パラドックス」を遊んでいるのでしょうか。
「論理的な矛盾」と「直観的には受け入れがたいが、別に矛盾はしていないもの」とは、
パラドックスの定義ですが、「理論と現実のギャップ」?
正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、
受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉として
使われるパラドックス(paradox)という概念の世界を
静観し、思索し、試みてみるという先にできあがったものでしょう。
傍らで制作を見続けた伴侶は、
なんだかとても楽しそうだったと話されました。
静物の写生をするのではなく、静物画のイメージを
あえて立体にしようとした「still life」シリーズ。
「still life」
まだ実存している、生きている、いまだいのちあり
と、作品が静かにつぶやいているの・・か・・し・・ら・・
きっとそうかもしれない・・と
日長眺めています。


平面作品にモチーフとして描かれる静物画があります。
いつか消え去るもの、塵となってなくなるものを
記憶に留めようと、描かれるのでしょうか。
その同じモチーフを、土を使って立体でどのように平面化させるか
同じように立体で消え去るものを捉えられるのか、
凝視した静かな時間が、黒陶という技法で作られた造形にこめられています。
一見、みなれた日常雑器や食物が
佐藤公平さんの造形に挑む手にかかると
二次元の静物画的なモチーフを、三次元に作りなおすという
「パラドックス」を遊んでいるのでしょうか。
「論理的な矛盾」と「直観的には受け入れがたいが、別に矛盾はしていないもの」とは、
パラドックスの定義ですが、「理論と現実のギャップ」?
正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、
受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉として
使われるパラドックス(paradox)という概念の世界を
静観し、思索し、試みてみるという先にできあがったものでしょう。
傍らで制作を見続けた伴侶は、
なんだかとても楽しそうだったと話されました。
静物の写生をするのではなく、静物画のイメージを
あえて立体にしようとした「still life」シリーズ。
「still life」
まだ実存している、生きている、いまだいのちあり
と、作品が静かにつぶやいているの・・か・・し・・ら・・
きっとそうかもしれない・・と
日長眺めています。
バッハのゴルトベルグ変奏曲 第2回
2011.07.12
小川紀美代バンドネオンのライブ
バンドネオンひとり旅 Bandoneon solo
7月9日(土)19:00から小川紀美代さんのライブでした。
哀愁のアルゼンチンタンゴ、いつかどこかで聴いた曲
懐かしく切ない、遥かなる南米の風。
この日のライブで取り上げた曲は、
会期中の北條佐江子さんの「記憶の星」展で
ギャラリーはブルー色に重なるものでした。
天空に広がる幾千の星に
遥か彼方、縄文時代から眺めてきた星々が
唱っているような旋律が
視覚と聴覚に流れ込んできました。
小川紀美代さんの選曲やオリジナル曲、編曲の演出でしょう。
バッハ、ピアソラ、日本の歌曲、
3月11日の大震災から奏で出したという「見上げてごらん夜の星」
ふる里とアルゼンチンの望郷の歌など。
絵のチカラ
音楽のチカラ
いいですね。
